プライドは必要か

私が勤める金融機関はやたら試験がある。 所謂、金融業務検定やファイナンシャルプランナー等である。

昇格、昇給をするためにはこれらの試験を取得することが条件となっており、出世レースを勝ち抜くためにはどうしても必要な試験なのである。

桐崎はこういった「よく分からないけど必要な検定試験」に対しては「必要だからする」ぐらいのモチベーションで勉強をする。 決して「モノにしよう」とは思わない。 普段から皆様のおかげで読書習慣がついていることもあり、勉強についても苦ではない。そして、一応あらゆる試験をパスしてきた。

同僚たちは「桐崎はちゃっかし勉強して試験受かるよな。」と 定期テスト前の「やべえ勉強全くしてねー」と言う高校生みたいなことを言う。そして現に受かっていないのだ。

先日もとある検定試験があった。桐崎は既に合格済みであったのでゆるりと家族サービスをしつつ、何人かの女性とLINEして過ごす日曜だった。 翌日社内で先輩に「試験どうでした?」と尋ねる後輩がいた。 先輩の返答は「自己採点してないから分からない。隣の席の人がカリカリうるさくてさ。」と答えたのである。 そう、たぶんその試験に落ちているのだ。

僕は「プライド」が本当に必要なのかについて思いを巡らした。 プライドが邪魔をして過ごす日々ほど無駄なものはないかもしれない。 先日の「仕事の流儀」で山中伸弥先生は 「自分が何も分かっていないということを分かっているのがプロフェッショナル」と答えた。

つまり理想とする自分との距離感を把握してそれに向けて努力をする。 この努力をするためにはプライドは捨てなければならない。だって何者でもないのだから。 たくさんの成功体験や失敗体験をして築き上げる自分に対して誇りを持つのも大切だが、その誇りやプライドが錆びついていることにも気づかないで必死に地位を守る必要はない。

僕は何者でもない。プライドなどいらない。 明日からも「モテたい」を胸に生きていきたい。