桐崎書店 #2 多動力
恥をかきながら行動していくことにした。
僕は明るい人間でそれなりに友だちも多い。 今の会社でも上司や同僚ともうまくやっているつもりだ。
ただ僕の明るさは決して先天的に生まれながら持っていたものではない。それはハッキリと分かっている。
僕は保育園の頃、おとなしい子だった。 ちょうどその頃、我が家には子犬がやってきたこともあって「保育園なんかに行くより、ワンちゃんと遊びたい」と言って保育園に行く時間になるとグズっていたことを今でもよく覚えている。 僕の親は「甘やかしすぎ」といった類の非難を祖父母や親戚から言われるなかで、全く気にせず「子どもがやりたいと言うことをやらせたい」という考えを強く持っていた。そのため僕は保育園なんかにはほとんど行かずに子犬と遊んでいた。その頃の僕の写真はほとんどがその子犬と遊んでいる写真ばかりだった。
結果、一日中家で子犬と遊んでいる日々が続いたわけだけど、そのうち僕は保育園に行きたいと言い出した。そして「行きたいなら行こっか」と優しく微笑んだ母のことをよく覚えている。保育園に行くことは誰かに強制されたわけでは無いのだけれど、急に行きたくなったのだ。
そして僕は年長さんになる頃には誰よりも多く友だちがいたし、そのまま小中高と明るく、友だちに囲まれている男の子となった。
小学校低学年の頃にはサッカー少年団に入ったのだけど、高学年になる頃には少年野球に変わっていたし、中学の途中からは野球部に入部しつつも「弾きたいなら弾けばいい」と言いながら父が買い与えてくれたギターを持ってロックキッズをしていた。 国立大学に受かりながらも地元の私立大学に行かせてくれたし、就職活動も「行きたいと思ったところに行けばいい」と言ってくれた。
たぶんだけれど、親に強制されて保育園に行っていたらずっとおとなしい子であっただろうと思うし、習い事や部活、自分の趣味など特に無い人間になっていたと考える。 親の「子どもにはやりたいと言うことはやらせたい」という考えのもと育ってきたので、妻からは「甘やかされて育ったから何も成し遂げたことがないんじゃない?あなたの趣味はすぐ変わる。その読んでるニュースピックスとかいうのもすぐにやめるわよ。」と皮肉を言われるけれど、知人からは「桐崎は広く浅い知識が割と多いよな。」と言われることがある。 親から「やりたいことをやってみろ」というスタイルを教わってきたからこそだと思う。
そんな中で堀江貴文さんの「多動力」という本を読んだ。 感想としては以下のツイート
今更ながら箕輪さん編集の「多動力」読んでる。
— 桐崎美玲 (@nagoya_de_) 2018年2月14日
この本を読んだ人は、当時太宰治先生の「人間失格」を読んだ人たちと同じようなことを言うのではないか。
それは
「この話は自分のことであると思う人とこのような生き方は到底できそうもないな。。」という感想だった。
当時、太宰治先生の「人間失格」を読んだ人の感想では、その主人公に自分を投影する者、全く別世界の人物と捉える者がハッキリ分かれたと何かの雑誌で見たことがある。
それと同様に 【「多動力」を俺は持っているぞ!】という感想を持つ者、 【ホリエモン、やば。。こんなに同時に色々やって。。】という感想を持つ者で分かれるような気がした。
多動力の一節でこんな印象に残る文がある。
恥をかく勇気、失敗する勇気さえもてば、どんどん免疫ができてリスクを取ることを恐れなくなる。この勇気をもつことが何よりも重要なのだ。
僕は上述の通り、たくさんのやりたいことに素直に行動してきたつもりなのだけれど、自分はやりたいと声高に叫んできただけで親のサポート、家族のサポートがあったからできた。つまり多動力を携えた男ではなかったのである。 もっと言えば今の僕はどうなっているのか?
社会人生活を続ける中で「当たり前」になっていることが多すぎるような気がする。少々荷物が多い気がする。
僕はあらゆるモノに触れて感動したい。そのためにもっと恥をかき行動していこうと思う。たとえそれが多動力ではなく、中途半端と誰かに言われようとも。。
参考文献
【桐崎書店について】
桐崎書店は僕が読んだ本の感想を綴るものであります。始めようと思った理由は「アウトプット能力が圧倒的に弱い」からです。
桐崎書店のエントリーは
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・内容はあえてほんの少し触れるだけ
・僕の暮らしにどんな「きっかけ」を与えたかを伝える
などを意識して書いています。 もっと内容が知りたい人はDMでもいいのでご連絡ください。
段々とクオリティを上げていこうと思います。よろしくお願いします。