運転の上手さとセックスの上手さについて
僕の妻は学生時代に体育会系のマネージャーをやっていたこともあり、下ネタ許容度は高い。(ちなみにセックスも上手い)
先日、食材を買いにショッピングモールへ行った時に妻に「あなたは車の運転上手よね。駐車もスムーズだし。」と言われたので
「まぁ、セックスも上手いからね。」と返してアハハとなった。
妻は下着を見に行くということなので、「じゃあ僕は本屋にでもいるよ。また終わったら連絡して。」と言って一度解散した。
本屋に向かう途中、転勤前の営業所で働いていた同僚を思い出した。
彼は真面目なサラリーマンながら、非モテでお腹は出ていて肌は荒れていた。
そして襟元が二重になった「やかましい」シャツを着ていた。
彼は一生懸命営業アプローチをするのだけれど中々成果が出なかった。担当先に非モテコミットをしているように見えた。
彼は童貞では無かったけれどしばらくはご無沙汰だった。
ある日、彼は営業車をガードレールにぶつけた。彼は運転が下手だった。同行した上司も
「あいつの運転やばいぞ!」と言っていたのをよく覚えている。
僕は本屋の前のスタバに行き先を変更し、
「車の運転の上手さと床上手の相関性」について考えることにした。
車の運転で必要なこととセックスで必要なことで共通するものは何かを考えた。
ハンドルさばき等のテクニックか?かっこよく見せる仕草か?
中々答えが見出せなかったから、僕が自動車学校の先生に言われてよく覚えていることを思い出した。それは
「だろう運転」ではなくて「かもしれない運転」で運転することだった。
・あのおばあちゃんは飛び出してこない「だろう」
・あの車は一時停止する「だろう」
・あの物陰からは誰も出てこない「だろう」
これらを全て「かもしれない」に変えるのだ。
そうすることで僕らはより注意深く運転することが出来る。
これはセックスというか恋愛においても大切なことかもしれないなと思った。もっと言えば相手のことをイメージすることだとも言えるかもしれないと思った。
非モテは自分の価値観でモノを語るし、人を判断する。仮にセックスができたとしても荒い運転同様にAVに影響されすぎた荒い手マンをする。
きっと車の運転でも「だろう」運転をしている。
恋愛が上手くいくときは相手のことを思いながら行動できているときだ。
相手は〜したら嫌がるかもしれない。だから止めておこう。
相手に〜したら喜ぶかもしれない。よしやってみよう。
もしかしたら自分に興味があるかもしれない、だからこういう行動をして確かめてみよう。
「かもしれない」は次の行動に対するステップでありプロセスだ。
帰りの道も気をつけて運転しよう。隣には妻が乗っている。そう思ってホットコーヒーを飲んだ僕は、彼が1日でも早く非モテと運転下手から脱することを願った。