子育て半端ないって。

子育て半端ないって。

本当これに尽きると思う。 私はつい先日父親となり世界が変わった。 妻は母親となり、私をとにかく頼りないと叱責する日々。それも分からなくはない。

それまではひとりの男としてそれなりに自力で生きてはこれだがそれは大人だからであって、私の力でこの子を育て上げるにはあまりにもスキル、特に家事スキルが低いことが顕著になった。 それでも父親としてやれることは精一杯やってみた。

・慣れない風呂掃除

・慣れない料理

・慣れない皿洗い

そして何より

はじめての子育て

僕の姿を見て妻はなんて言うのかを考えた。 「ありがとう」、「仕事で忙しいのにごめんね。」etc

しかし実際は

「なんでこんなこともできないの?」

だった。

正直、ショックだったし、いつでも僕はどんなことを言われても笑顔で切り抜けてきたのだけれど、その日ばかりは怒りを通り越して呆れてしまった。 何かが崩れたのだ。

それ以降、僕は妻はもちろんのこと、自分の子どもですらまともに見ることが嫌になった。 彼女たちを見るとあの日の 「なんでこんなこともできないの?」が蘇り、男性として、父親として、そして何より人間として否定された気がしてめまいがしたからだ。

そんな苦しい日々の中、実家に帰省をした。 定年を迎え、趣味で始めたジョギングにより、少し痩せ始めた父親は自分の孫、つまり僕の娘の写真を嬉しそうに見ていた。

僕は若くして母親を亡くしている。 それ以降、僕は兄弟と父親と暮らしてきた。 若くしてと言っても社会人になってからだし、それなりの暮らしはできていたけれど、父親も一般的な父親以上に家事をこなしていた。

本来いるべき母親がいないからやるしかないのだ。 父親が慣れない洗濯物をしながら、涙を流していたことをよく覚えている。

そんな父親が私の娘を見て 「お母さんに似てるな」と笑いながら言ったとき、僕は少しだけ泣いた。

そこから心を改めた。

・最初から出来る人はいない。

・人に言われて気にしてもとにかくやる。

・認めてもらうために家事をやるのではない。

それからの日々は激動の日々だった。

でも楽しかった。 風呂に入れるとき泣きじゃくる娘を見て、 「いつの間にこんなに大きくなったんだ?」とも思った。

今でも妻には皿の洗い方、掃除機の掛け方、最近では料理も作らされている。いや作っている。

私の尊敬するGLAYさんたちのある曲でTAKUROさんは

「世界の片隅であなたを抱き上げた。いつもあの重さが私の支えだった。」という歌詞を書いた。

その言葉の意味を噛みしめる日がきたことを、今では嬉しく思う。

少しだけ前向きになれたのだ。

愛娘が私と過ごす時間は僅かだと思う。 その刹那を私は悔いのないように過ごしたい。

子育て半端ないって。